僕の考えた最高で最強の〇〇
ベリーベスト太郎です。
最近の小学校の中には徒競走を手をつないで横並びでゴールするなんてニュースをたまに目にします。
競争のない平等な精神を育むためだとか。
劣った子が劣等感に苛まれず、優れた子が傲慢にならないためだとか。
まぁ、そんな学校が本当にあるのかどうかはさておき、
そんな競争のない平等な社会も競争だらけの社会と同じくらい残酷な結末に陥りそうな気がします。
競争のメリットの一つとして、各個人が何が優れているのか、
そして何が劣っているのかの判別が容易になるということが挙げられます。
したがって、競争社会ではあることに優れていることが分かった時点でそのことに注力すればよく、
あることに劣っていることがわかれば即座にべつのことに注力し
各個人が自身が優れていることを探しに行けばよいです。
その結果、最終的には各個人は自身の優れていることに行き着き、
社会全体としてプラスの影響を受けることができるようになります。
(もちろん、この場合職業選択の自由はどうなるだという点も考えなければいけませんが。)
反対に、平等な社会の場合、上記の競争による恩恵を受けることができません。
競争のない平等な社会では、能力の差を表面化させるようなものは排除されるため、
各個人は幼いころから、自分が何が得意で何が不得意かどうかを知ることができません。
したがって、将来就いた仕事で満足できるかどうかは運次第です。
自分の好きな仕事についても思っていたように働けないかもしれない。
他のみんなと同じはずなのに、自分だけ仕事が楽しくないかもしれない。
社会全体としても、適材適所などというものはあり得ず、
かみ合うはずのない歯車同士で回っていくことになるでしょう。
これを見ると、平等な社会も決して良いものとは思えないですね。
なんてこと考えていると、結局毒も薬も量次第なのかななんて思ったりします。
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